私の病歴をまとめたシリーズです。はじめからお読みになりたい方は「紫斑病腎炎になったきっかけ」からどうぞ。
(前回の続き)
中学・高校は私立の6年一貫校に通っていましたが6年間病気が治らなかったため体育はほとんど見学していました。
ハーフのサッカーや筋トレ、剣道をやる授業は参加できましたがそれ以外はだめ。お医者さんにも激しい運動はだめ、サッカーはキーパーならオッケーと言われていました。激しい運動ってあいまいな表現ですが息が上がってしまう運動はだめだということでしょう。
剣道は微妙なラインですがやっていましたね。週1回剣道か柔道を選択する授業があって柔道よりかは剣道の方が激しくないだろうと思っていましたが今振り返ると剣道もけっこうきつかった気がします。
でも剣道は運動できないうっぷんを晴らすにはちょうどよかったです。思いっきり剣を振れるので楽しかったです。
体育はつらかったですね。特にマラソン大会前の1か月はみんながつらそうに走っているのを見ているわけですからクラスメイトから恨まれるのではないかとびくびくしていました。
やることがないのでグラウンドを走っているクラスメイトに「今、5周目~」とかカウントしたり順位カードを配ったり記録したりしていました。
マラソン大会当日ももちろん待機。寒い中待っているのは大変でした。わざわざ遠くの湖まで行ってやっていたので休んでもよかったのですが行くとそれなりにやることはあるので行きました。時期が冬なのでかぜをひいて休むこともありましたね。
マラソン大会は意外に見学している生徒も多かったです。普段の授業だと見学が私一人だけなので心強かったですね。他の生徒で同じ病気の人はいませんでしたが人それぞれいろんな事情があるのですね。
体育をやってなかったりするといじめの対象にされたりしますが幸いなことにいじめにあったことはありませんでした。校風がのんびりしていてぎすぎすした人間関係がなくいじめる人間があまりいなかったのとそこそこ勉強ができたためだと思っています。
ただやっぱり「なんで体育できないの?」とか聞かれると悲しい気持ちになりましたね。「内臓がちょっとよくなくて」とかごまかしていました。なんか腎臓が悪いって言ってしまうと負けたような気がしてどうしても言えませんでした。
中学に入って1年目の担任の先生が体育の先生だったのが非常によかったです。事情をよく分かってくれて学年が上がったときも他の先生に引き継ぎをちゃんとしてくれていました。とても感謝です。
そして高校生になると徐々に状況が変わってきます。
次は⇒高校時代はかぜをひかないようにした